ミャンマーでのJICA青年海外協力隊の活動を終えて
2018年2月から、JICA(独立行政法人国際協力機構)青年海外協力隊、シニア・海外ボランティアの医療エンジニアとして、ミャンマーの医療機関でボランティア活動をしてきたアクト・セン株式会社 社員の日向泰史(ひなたやすし)が、2年間の活動を終えて、2020年春帰国しました。
ミャンマーでは初めての長期派遣の青年海外協力隊員として、ヤンゴン市内の小児病院での活動を始めるとき、「これまでの医療機器メンテナンスの経験を活かして、ミャンマーの方々、子どもたちがより安心して安全な医療を受けられることができるようにしていきたい。医療環境の改善のため、自分の力を精いっぱい発揮したい」と熱い思いを語っていた日向さん。帰国直後から始まった新型コロナ感染症拡大という未曽有の事態で、残念ながら予定していたさまざまな帰国イベントも延期となったままとなっています。
現地での貴重な経験、そしてそれをこれからの業務にどのように生かしていくのかなど、話を聞きました。
今後もミャンマーとつながっていたい
――2年間のミャンマーでの活動を終えて日本に帰られたとき、どんなお気持ちでしたか?
一つ目は、まず日本に帰ったという気持ちです。実は、活動期間中に一度だけ、10日ほどの一時帰国はありました。それと違い、やはり日本に帰ってきたのだという実感でした。
もう一つは、2年間でできたことと、やりたくてもできなかったことがあり、どちらかというとできなかったことの方が多く、悔いのようなものが残っていることです。逆に、今までお世話になり、また知り合いになったミャンマーの方々とつながる活動を今後も継続していきたいという気持ちが、より強くなったと感じています。
―― JICAのプログラム応募のいきさつをお願いします
2011年6月に、現職でもあるアクト・セン株式会社のエンジニアとして、先輩エンジニアとともにミャンマーのある病院を訪問しました。日本の病院から寄贈されたCTの修理が目的の1週間でしたが、これがミャンマーへの初渡航でした。そこでミャンマーの政府系病院の現状を知り、これがミャンマーでの医療環境向上のための活動ができないかと考えるきっかけになりました。
2014年6月、弊社メンバー数名でミャンマーの病院視察旅行が企画され参加。さらにミャンマーの病院事情、環境などを学ぶこととなり、ミャンマーの医療環境向上のための活動への思いがさらに強くなっていったのです。
当時、特に政府系病院では、古い医療機器が使用されていたり、故障したままの多数の機器が放置されているという状況でした。そんな現状を目の当たりにし、現地の方々からもメンテナンスの重要性、必要性を求める話をたくさん聞きました。いつか、我々が医療機器メンテナンスの専門家としてミャンマーでの医療環境向上に役立つ活動ができないかと、ずっと思っていたところだったのです。
―― ヤンゴン小児病院とはどんな病院ですか?そこでの主な仕事についてご紹介ください。
ヤンゴン小児病院は、ミャンマー国内で一番大きな小児病院です。 病床数は約550、対象は12歳までの小児で、整形外科、腎臓科、呼吸器科、消化器科、神経科、新生児科、ICU、手術室、放射線科(CT, MRI, 超音波, X線装置)、血液検査科、研究室、腫瘍科、歯科、一般外来とさまざまな診療部署を備え、小児のための総合病院ともいえる大きな施設です。
私は、この病院に派遣され、各医療機器の管理、修理、メンテナンスをするエンジニアとして、常駐しました。日本でいう臨床工学技士の仕事に近い役割です。
そこでは、毎日、各医療機器や装置の故障に向き合い、修理などの対応をしていました。輸液ポンプに始まり、患者監視モニター、CPAP装置、人工呼吸器、ポータブルX線装置、吸引装置、ネブライザー、ヘマトクリット遠心分離器、高圧蒸気滅菌器、エアーコンプレッサー、保育器など、さまざまな機器の故障への対応が必要でした。自ら修理することはもちろん、ヤンゴンには優秀な代理店のエンジニアもおり、彼らへの依頼や対処方法の確認などを通じて、頻繁にコミュニケーションも取っていました。
胸が熱くなる「おもてなし」の想い
―― この2年間で、病院で特に「やりがい」を感じたこと、印象に残っていることは何でしょうか?
やはり、故障やトラブルが発生した装置を正常に使用できるように修理できたときです。特に人工呼吸器のトラブルは人命に直結するため、緊急対応が必要となることもありました。「できない」とは言っていられません。ドクターがアンビューバッグで人工呼吸をしている横で人工呼吸器の対応をすることも何度かありましたが、そうした緊急時対応で、困難と思われた装置を自ら修理できたときは、ドクターやナースの方にも喜んでいただけて、「やりがい」を強く感じるときでした。
病院では、同僚エンジニアや看護師さん、ドクターの方々が、本当に仲良くしてくださいました。時々自分たちの朝ご飯を私に分けて食べさせてくれたりするのです。ミャンマーの人々のおもてなしの思いは素晴らしいと、胸が熱くなりました。「おもてなし」というと日本の専売特許のように思われがちですが、むしろ、ミャンマーのおもてなし精神の方がすごいのではと、私は個人的には思います。
―― もっとやりたかったこと、やり残したことなどありましたか?
現地エンジニアやナースの方々への、メンテナンスや使用方法のサポートは、もっとやりたかったです。
教育活動ももっとしたかったのですが、修理の対応に追われて、あまりできなかったことに悔いが残ります。それを達成できなかった分、帰国後もさらに継続していきたいと強く思うようになりました。是非、今後もリモート、ネットを通じて可能な活動をしていきたいと思っています。
日々発展するミャンマー
―― 現地の生活について、食生活、住環境などはいかがでしたか?
私のアパートは、まさにアジアの人々の生活を実感する街中にありました。屋台が並び、道端では魚、肉、野菜、果物も売られていて、そこでの買い物が生活の中心でした。今思い出してもとても懐かしく、あの雰囲気が私は大好きでした。店の人ともお互い顔なじみになり、会話もたくさんして、人間味あふれる生活がそこにはありました。
ミャンマーの料理は、日本人の口にも合うマイルドな味です。私がいたのはヤンゴンの最もにぎやかな地域でしたので、綺麗な大規模ショッピングモールや、日本食レストランも数軒あり、日本食を食べたくなったらすぐに行けるという、とても恵まれた環境でした。また、アパートの大家さんは、もともとはなかった温水が出るポータブルシャワーもつけてくれたので、生活は快適でした。
東南アジア諸国同様、水道の水はもちろん飲めないので、飲用、料理用として5リットルの大きな水のボトルを買って使っていました。
ヤンゴンは年間平均気温30度の暑いところです。たまに発生する停電の時は、もう暑くて寝られなくて、夜中真っ暗な中でうちわをあおいで、何とか凌いだということもありました。今は懐かしい思い出です。
―― この数年でミャンマーは急激な変化を遂げていると聞きます。
ミャンマーは急激に発展しています。とても綺麗でお洒落な店も多くなってきました。
ショッピングモールも複数でき、さらに中国資本の新しいモールやコンドミニアムの建設も進んでおり、ミャンマーの方の生活様式は、本当に変わってきています。ショッピングモールには若者も多く、彼らの過ごし方は、日本の若者達とさほど変わりはないのではと思います。
また、通常よりかなり高額なレストランも人気で、ほぼ毎日満席状況です。それだけ、ミャンマーの方の収入も増えているのではと思います。そのため、ミャンマーの人の価値観は急激に上がっており、先進国と同レベルの物、サービスでなければ、受け入れてもらえなくなっているように思えます。時々立ち寄っていたケンタッキーのレジの従業員さんも、大変よく教育されていました。会計の後、両手で手を振り笑顔で挨拶をする姿は、日本では見られないサービスではないでしょうか。もちろん彼らは英語も達者です。ミャンマーの若手エンジニアも大変優秀でとても勉強熱心です。もしかしたら、ミャンマーの学生に負けてしまう日本人学生もすでにいるのではと思います。
海外だからこそ見えた日本
―― JICAのこの制度を使って海外でのボランティア活動をされることを、どんな点でほかの方にお勧めになりますか?
このような経験をした私からは、できることなら、日本の若者全てに体験していただきたいと感じるくらいです。現地の言語、文化を肌感覚で学び、現地の方と真につながることができ、施設の一員として現状を学ぶことができます。また、課題達成のために、技術、知識の習得、言語、文化、人とのネットワークができることになります。
そして何より、日本の外に出て、現在の諸外国の現状を知ることで、いかに日本、または自分自身がさらに努力していかなくてはならないかを、痛感することになります。コロナの影響で自由に行き来できない今、それが特に一番の得るべき経験とも思います。
―― このご経験が日向さんの何かを変えましたか?
率直に思い返せば、自分はまだまだこれからも、基礎技術的な知識から専門的知識まで学び直していかなければいけないという思いです。いつかまた、ミャンマーまたは諸外国において活動をし、相手国また日本のために貢献できる人間になるために、さらなる技術力、言語力を高め、新たなミッションを策定できる能力を身に付けていかなくてはならないと感じています。
アジアの方々は大変勉強熱心であり、ドクターやエンジニアも大変優秀です。こうしたことは、普通の旅行では気づくことができなかった、現地での生活から得た実情です。先進国に住んでいるからと、甘んじているわけにはいきません。自分自身の目標とも照らし合わせ、将来の諸外国での活動も鑑みつつ、日々、学習と研究を続けていきたいと思います。
ミャンマーの病院での活動の機会を得て、いろいろな経験や学びがありました。ミャンマー語もさらに学習し、医療機器、管理についても情報をまとめつつ、現地の方との情報共有を通じて、ネットワークをつなげていきたいと思っています。
また、帰国後の国内の業務では、扱う装置は全く別になりますが、こちらも詳しく学習し、いずれ、ミャンマー含めたアジア圏における諸活動、教育などができるようさらに学んでいきたいと思っています。
感謝の気持ちをこれからの貢献に
JICAの民間連携制度を通じた海外協力隊の活動に参加させていただいたGWIN、アクト・セン株式会社の皆様に、あらためて、深く感謝を申し上げます。みなさまのおかげで活動参加の機会をいただき、多くの経験をさせていただいたことに、本当に感謝以外の言葉はありません。
こうした活動に参加したい、海外協力隊員になりたい、という方がいらっしゃいましたら、今度は私自身がその方たちをサポートする立場になっていきたいと思っています。この経験を活かして、これからも、日本への貢献、ミャンマーへの貢献ができるよう、さらに継続して活動をしていきたいと思っております。
ありがとうございました。